私の就職体験記-最終回 転職へ

4回に渡り書いてきました、オーストラリア留学後の、某商社での就職体験談。

第1回目は、就職間もなくして私の身に降りかかった災難?「英語を使ったお仕事」
第2回目は、大失敗をして大赤字を出した「入社3ヵ月で始末書」
第3回目は、海外の人と仕事をするとは、を考えさせられた「品質問題に悩む」
第4回目は、大型案件を急遽任された「大型プロジェクト大波乱」

落とし所をどこにしようか考えていなかったのですが、今回は最終回。

勤めていた商社から、現在のオーストラリア留学センターへの転職に至った背景を書かせて頂きます。


働き始めて3年も経つと、相変わらずどたばたしていましたが、一応、色々なプロジェクトを任せられるようになっていました。

しかし、同時に疑問も感じていました。

仕事は大変だけどチャレンジングで楽しいし、職場の人間関係も悪くない、先輩方もかわいがってくれる。だけど、「このままでいいのか?」といった想いは日に日に強くなっていきました。

Tokyo Stock Exchange
by Dick Thomas Johnson

前職で大変だった時期の一つが、リーマンショック。

これまで、少しずつ上がり始めていた経済状況が、一瞬にして消し飛びました。解雇に関しては、日本企業より海外企業のほうが容赦なく、午前中連絡を取り合っていた担当者が午後には突然いなくなったりもしました。日本の取引先も、非正規雇用者はどんどん職場からいなくなります。正規雇用者も、ワークシェアリング、ということで、週2日や3日しか出勤せず、といった状況になりました。私の会社では、ワークシェアリングはありませんでしたが、非正規雇用者は契約更新ができなかった人も多くいます。

私も、海外や日本の取引先との生産調整や過剰在庫の対応に追われたり、営業面では売上のダウン。さらに、進行中のプロジェクトが停止や延期され、売り上げ見込みも大幅ダウン。

そして、さらにその後の円高進行。

海外取引をしている会社にとっては、1円の変化が大きなインパクトを持ちます。

日本からの産業流出が叫ばれ、実際に私の取引していた会社も、生産拠点をアジア某国へ移転させるべく動き始めていました。生産拠点が日本からシフトすると、部品を日本で売ることができないので、これまた売り上げ見込みが減少。

有効な手立てはなく、パニックでした。

Shanghai (上海) Skyline
by Emile Bremmer

リーマンショックの影響は大きかったのですが、実はこれより前から、日本経済の不協和音は聞こえていました。

商社という立場上、海外と日本の企業の間に入って仕事をしていましたが、色々なウワサが聞こえてきます。その中でも印象的だったのは、中国の存在。

今は中国経済崩壊の懸念の声も聞こえますが、中国は世界経済に大きなインパクトを持っています。中国経済が崩壊すると世界に与える影響はリーマンショック以上になるとも言われています。

ただ、実際に中国の企業と一緒に仕事をしてみると、その対応にかなり手を焼きました。

生産技術も決して高いとは言えず、何度も現地企業と揉めました。

だけど、中国のポテンシャルのすごさを見せつけられました。

何がすごいかと言えば、彼らのレベルアップ速度。普通技術力のアップは、技術を吸収して、自分たちで使いやすいよう改良を加え、研究を進め、さらに昇華させて、といったサイクルになるかと思いますが、技術を吸収したとたんに、飛躍的にレベルアップしているように感じました。一歩一歩ではなくて、一段飛ばし、二段飛ばしな勢いで成長してきます。

そして、中国企業と日本企業のコンペティションも、日本企業が結構負けてビジネスを、中国系の企業にどんどん取られていました。


リーマンショック後に、日本の産業の空洞化が盛んに叫ばれていましたが、実は、リーマンショック以前からその動きはありました。

私は経済学者ではないので実際のところはわかりませんが、取引のあった日本を代表する企業が、海外に生産拠点を移す検討をしていて、たまたまリーマンショックが重なったといった感じでした。

企業は、利益を出さなければならない。
その利益は日本では出せない。
だから、海外へ移転する。
非常に合理的な判断です。


こういった状況の中にいて、私の「このままでいいのか」感が強くなってきました。

そういえば、留学をしようと思い立ったのは「焦り」や「危機感」でした(以前の私のブログ「オーストラリアに留学したきっかけ」ご参照)。これからは、国も企業もあてにできない。自分で生き延びる力が必要になってくる、といった危機感です。

大学の頃の私の研究テーマは「東南アジアの資本主義の発展」でした。机上の勉強ではありましたが、文献やデータにあたっていると、日本の凋落と他国の追い上げを感じていました。

そして、オーストラリアへ留学。

オーストラリアの留学生は、地理的関係上、東南アジアからの留学生も多くおり、彼らと交流する機会を多く持てました。そして、確信しました。これから伸びてくる、と。

そして、就職。

ビジネスの実情を目の当たりにして、大学の時に感じた焦りや危機感を、実感しました。


でも、日本がこのままで終わっていくのはなんだかくやしい。

国を問わず色々な場所で活躍できる人のバックアップをしていきたい、そして、留学はその一つの手段になると考えていた折に、たまたま今の会社の求人を知りました。

Globes
by fihu

好もうが好むまいが、英語を使う機会というのは、これからますます増えてくると思います。英語を使った仕事をするには、ある程度の英語力は必要ですが、絶対的な英語力は必要ありません。もちろん、英語力はあるにこしたことはないのですが、英語をどのように使うか、のほうが重要となってきます。そして、英語をどのように使うか、を考えるためには、情報が必要となります。

特にビジネスの場面だと、どのカード(情報)を出して、相手と話をするか。どのカードを使うのかは、相手のバックグラウンド、企業の中での立場、性格等によって、総合的に判断をしていかなければなりません。交渉の場面では、何を切り札とするかを考えて話をしなければいけませんし、時にはカマをかけてみることもあります。

さらに、ビジネス上の付き合いとプライベートの付き合いがあり、仲良くなると、ビジネスの席ではこう言ったけど、実際はこう考えている、こういった意図がある、といったような話もしてくれます。

なんて、偉そうなことを書いていますが、これがなかなか難しい。。。

留学をする方は、ぜひ色々なバックグラウンドの人たちと関わりを持って、英語を学ぶだけではなく、どのように使うのかも考えてみて下さい。将来的に英語を使って仕事をしたい、と考えている方は特に、この点を意識することをお勧めします。


英語を使ったお仕事について書こうと思っていたこのシリーズでしたが、大分趣旨から外れ、新入社員奮闘記になってしまいました。特にこの最後は、英語を使った仕事でも、奮闘記でもなんでなく、無理やりアドバイスで締めくくりましたが、このシリーズは一旦ここで終わらせていただきます!

坂本 岳志 / Takeshi Sakamoto

オーストラリアのメルボルン在住。豪政府公認PIER教育カウンセラー(QEAC登録番号:H297)。日本の大学を卒業後、日常英語もままならないレベルから、メルボルン大学大学院進学を決意。卒業後は、日本の商社で海外取引に3年携わる。現職に就いたきっかけは、メルボルン大学と商社時代に感じた「危機感」でした。各国の優秀な人材が海外で経験を積み、どんどん活躍していく中、日本の縮小を実感し、何か自分が役に立つことができるのでは、という思いから留学業界へ転職。東京オフィス→パースオフィス→石川県でリモート勤務を経て、2021年2月よりメルボルンに戻り、主にオーストラリア全都市の大学・大学院進学希望者のカウンセリングとサポートを行っています。このカウンセラーに質問する