シングルかダブルか   

QWERTY by jeffeaton

先日、普段あまり気にしたこともない点で友人と会話が盛り上がったので、書いてみたいと思います。

友人(Aさん)の知り合いのオーストラリア人女性(Bさん)が本を出版することになり、出版社へ記事の校正依頼を出していたそうなのですが、「ピリオドの後のスペースは2つではなく1つが正しい。2つ空いてるのは年齢が40代以降だって言ってるようなものですよ- It shows you are over 40.」と返事があったそうです。

こんな感じです。(↓ここでは分かりやすいようにピリオドの後にアンダーバーを入れてます。)
Hi, My name is Mayu.__I am from Tokyo. ← ピリオドの後、スペースが2つ、ダブルスペース  
Hi, My name is Mayu._I am from Tokyo. ← ピリオドの後、スペースが1つ、シングルスペース

「ピリオドの後にスペースを2つ空けると年齢がわかってしまう」、というのはこれはパソコンやワープロをさらに遡った「タイプライター」の時代に、ピリオドの後はスペースキーを2回押す、というルールだったことから来るようです。

Nothing Says Over 40 Like Two Spaces after a Period! 

Bさんも高校生だった1980年代にタイプライターで、「ピリオドの後にはスペースは2つ」と習っていて、出版社へ提出した記事もそのように書いていたそうです。

この出版社とのやりとりをBさんから聞いた私の友人Aさんも、「ピリオドの後はスペースは2つ!」が染み込んでいたのでとてもびっくりしたそう。
Aさんは40代。1990年代にアメリカの大学を卒業していて、大学付属のコースでアカデミックエッセイの書き方を習ったときには、「カンマの後は1つ、ピリオドの後は必ずスペースを2つ空ける」というルールで、大学でのエッセイライティングも常にスペースは2つで書いていたそうです。
今までの携帯のやり取りのショートメッセージも見てみると、彼女のメッセージは必ずピリオドの後にスペースが2つ空いていました。
「ピリオドの後にスペースが2つ空いていないと気持ち悪い感じがする!」そうです。

この会話の時に、ちょうど彼女のご主人もいたので聞いてみたところ、「ピリオドの後は、シングルスペースだよ」。

彼女のご主人はオーストラリアの大学・大学院を卒業していますが、やはりエッセイ、メール、携帯でのメッセージもスペースは1つ。
私自身もオーストラリアの専門学校時代も、仕事で英文メールを書くとき、友人との英語のやり取りなどでも、常にピリオドの後のスペースは1つです。

当社のブリスベン支店の加藤は2000年代にアメリカの大学に通ってたので、聞いてみました。

「スペースは2つです、これは世界共通だと思ってました!えー、1つだとなんか窮屈~~~」とのこと。

シングルスペースか、ダブルスペースか。
オーストラリアではシングルで、アメリカだとダブルなのか、それとも年齢や教育を受けた時代で違うのか・・・

気になったので後日、英語学校のスタッフに話をしてみました。
シングルスペースか、ダブルスペースか職員室の先生たちも盛り上がったそうで、40歳を超えているオーストラリア人の先生たちもスペースは1つが多いことが判明。
ただし、カナダ人の先生は20代ですが、スペースは2つ空けるとのこと。

タイプライターを使っていた人、それと主に北米(アメリカやカナダ)圏では年齢に関わらずはスペースが2つのようですね。
色々混在していますが、ネットや出版物での表記では「ピリオドの後はスペースは1つ」のシングルが今のスタンダードなのでしょうか。

調べてみると、下記のような記事も出てきました。
「自分は気づかないところで、年齢差別を受けることのないよう履歴書やメールでも2つのスペースを空けるのは避けるのが良い。
LinkedInの記事でも履歴書作成のコツ、としても紹介されている」と書かれています。

Double Spacing After a Period Could Reveal Your Age

ピリオドの後のあのちょっとしたスペースの数で、年代を判断されたり偏見を持たれたりすることもあるのかと思うとびっくりです。

ちなみに、英語学校の進学準備コースの先生はエッセイライティングで学生がピリオドの後にスペースを2つ空けていたとしても、間違えではないから訂正はしないそうです。

シングルでも、ダブルでも「間違え」ではなく両方あり、というところにとりあえず落ち着きそうな感じですね。

大越 麻結 / Mayu Okoshi

オーストラリア、シドニー在住。豪政府認定教育エージェントカウンセラー(QEAC登録番号 G175)。高校2年の時に、ノースシドニーのカソリック系女子校へ2週間の短期留学。当時、Appleという単語すら聞き取れなかった私を温かく迎えてくれたホストファミリーとの出会いを通じ、またオーストラリアへ来る事を心に決める。その後、アパレル業界勤務、実家家業を経て、2002年ワーキングホリデービザで渡豪。1年の滞在が終わりに近づく頃、何かを得てから帰国したいと考え、専門学校へ進学。Diploma of Public Relationsを修了する。留学業界との出会いはワーホリ時代に遡る。その後、英語学校スタッフとしての勤務、オーストラリア留学センターシドニーオフィスで12年の勤務を経て東京オフィスへ異動。2021年から再びシドニーオフィス勤務。このカウンセラーに質問する