電話をしてみよう。

phone by raindog808

先日、8月9日が父の誕生日でした。
普段、私は割と実家に電話をかけて両親と話しをするほうだと思いますが、この日も実家に電話をかけました。
もともと父はずっと野球人だったので、最近は甲子園も始まったこともあり、「今年の甲子園はどう?」というように父の好きなネタを振りつつ話をしてたのですが、とっても嬉しそうでした。

私自身はオーストラリアへ来るまで、実家を出て一人暮らしをしたこともなく、そして家業を手伝ってきたこともあったので家族が常に身近にいる環境でした。

ふと最近、自分自身のHotmailのインボックスを振り返って整理していたところオーストラリアに来たばかりの頃の、母とのメールのやり取りが・・・
思わず読み返してみたら「号泣」です。

そのメールを受け取った当時、「ありがたいな」とは思ったものの、涙するという事は無かったのですが一つ一つを読み返していたら、泣けてきました。

誤字脱字も多く、短い数行のメール。
そもそも母は機械音痴。携帯でメッセージを送るという事に慣れていないのに、それでも私へのメッセージを指先で一つ一つ打って送ってくれたんだな。と。

学校スタートしたよ、シェアが見つかったよ、アルバイトが見つかったよ、などなどその都度、こちらでの生活をメールしてたのですが、当時の自分はやっぱりこちらでの生活に精一杯で、きっとそのメールを受け取った当時の私には、母がどうやってメールを送り返して来てくれたかまで、想いを馳せることは出来なかったんだと思います。
そのメールには、普段のたわいない冗談も混じりつつもいつも私を気遣う思いやり、優しさ溢れる言葉で最後は締めくくられていました。
度々日本から送られてきた段ボールの荷物には、便せん数枚に渡っての手書きのお手紙が毎回入っていて、母は仕事と、祖父の介護に追われる身でもあるので、きっと夜中に書いてくれたんだろうな。
忙しい合間をぬって、大きな段ボールを抱えて郵便局に真夏の暑い最中だったり、もしかしたら大雨の中とかにも行ってくれたのかもしれない・・と今になって気づく事は一杯ありました。

オーストラリアに来る、海外で生活するというとき、皆さん言葉や生活、文化の壁などいろいろあって、それを乗り越えるのに必死に頑張っていると思います。
最初は、心細く日本の家族や友達に連絡をしてたのが、徐々にこちらのペースに慣れてくると連絡しなくなったりということもあるでしょう。
私もその一人でしたから。

私は母から、「メールしてるから良いと思ったら大間違いよ、行ったからにはちゃんと家族に電話で連絡しなさい」と言われた事があります。

それは、送り出す側のご両親、ご家族は、実際行った本人が思う以上に心配をしているから。

たしかに、日本ではない海外で、来た事の無い方だとどんなところか想像もつかないですし、しかも英語圏。無事に暮らしているのだろうか、ちゃんと食事は出来ているのだろうか、と親離れ子離れが出来ていたとしてもやはり心配は尽きないのだと思います。

ファームに行かれる生徒さんなど、たまにですが日本のご家族から「ここ数日、携帯に電話をしても繋がらないんです」と連絡が来る事があります。
「ファームで頑張ってお仕事をしてるし、なかなか電話も出来ないし、電波も良くないエリアだから携帯も繋がりずらいし」ということが、理由としてあるでしょう。でもきちんとそれをご家族にお知らせしておかないと、ご家族は「何かあったのでは!!!」と本当に心配されます。

最近はLINEだったり、facebookのメッセージだったりネットに繋がればすぐにメッセージが送れたり、チャットが出来るので気軽にやり取りが出来てとても便利ですよね。

お荷物を送ってくれたら、「受け取ったよ、送ってくれてありがとう」と簡単にメッセージも出来ますが、それでも、たまには家族に電話をして、感謝の言葉を伝えて、お話してみて下さい。

特に男性だと照れてなかなか電話なんて、ということもあるでしょう。たまに電話したら逆に「どうしたの???」なんてびっくりされたという事もあるかもしれません。ですが、ワーキングホリデーに行く、留学をする、やはり家族のサポートがあるからこそ実現出来るんだと思います。

最近ご家族に電話していなかったら、ひさびさに電話してみてあげてくださいね、きっととても喜ばれると思います。

大越 麻結 / Mayu Okoshi

オーストラリア、シドニー在住。豪政府認定教育エージェントカウンセラー(QEAC登録番号 G175)。高校2年の時に、ノースシドニーのカソリック系女子校へ2週間の短期留学。当時、Appleという単語すら聞き取れなかった私を温かく迎えてくれたホストファミリーとの出会いを通じ、またオーストラリアへ来る事を心に決める。その後、アパレル業界勤務、実家家業を経て、2002年ワーキングホリデービザで渡豪。1年の滞在が終わりに近づく頃、何かを得てから帰国したいと考え、専門学校へ進学。Diploma of Public Relationsを修了する。留学業界との出会いはワーホリ時代に遡る。その後、英語学校スタッフとしての勤務、オーストラリア留学センターシドニーオフィスで12年の勤務を経て東京オフィスへ異動。2021年から再びシドニーオフィス勤務。このカウンセラーに質問する