私の留学生活を支えてくれたもの

先日、写真を整理しようとファイルを見ていたら、昔の写真が色々出てきました。
アメリカに留学していた時の写真はさすがに日本に置いてきているのですが、写真を写真で取ったデータをたまたま発見。
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道産子なだけあって、色白でしょ?(おわかりだと思いますが左上)

私は16歳の時に1年間、アメリカの公立高校に通学&ホームステイをしていました。
日本人ゼロのど田舎で、公共交通機関は一切なし。
庭にはシカやアライグマが出没するような広大な場所で、お陰様でのびのび(?)と生活することが出来ました。

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1年間ホームステイをしたお家。私は、2階の右側の窓のお部屋でした。

といっても差別の目・言葉の壁もありましたから、辛い思いも沢山しましたよ。
その時はFacebookどころかインターネットもあまり普及しておらず、両親との連絡は月に1度の国際電話&手紙。日本からほぼ完全隔離された1年間。

入国当初は、毎日が孤独とホームシックとの戦いでした。

そんな時に私を支えてくれたのは、ホストファミリーと現地で出来た友達でした。

ある日、English (日本でいう高校の国語)の授業に全くついていけず、でもついていけないことを先生に伝えることが出来なくて、ただただ下を向いて1日を終えた日がありました。

でも、なんとか先生に伝えなくちゃ。よし、英語が話せないなら手紙を書こう!と思って、先生に、ついていけないことを手紙で書く事に。

内容に間違いがないかを確認してもらおうとホストマザーにそれを見せると、いきなり抱きしめられて(ハグをされて)
「あなたがこんなに悩んでいたことを気付けなくてごめんね。わからないことを何でも相談していいのよ」
と言ってくれた時に、我慢していたものが全て決壊し、声をあげてわんわん泣いたのを覚えています。(これを書いている今も、思い出すとウルウルしてしまいます)


あとは、最初まったく英語が出来なかったのでなかなか友達が増えなかったのですが、近所に住んでいるメアリーケイト(通称:MK)が毎日一緒に学校に通学してくれて、とても助けてくれました。
英語がわかるようになるにつれて仲も深まり、そこから交流も広がって、お友達も出来ました。
特にMKとは親友になり、最後の方は朝から晩まで毎日のように遊んでいました。(プールに夜中まで入って、2人で怒られたなぁ〜)

日本の家族、友達はもちろん常に支えとなっていましたが、現地で大きな支えとなったのは、ファミリーや友達。彼ら無しでは、私は途中で留学を諦めていたかも知れません。
特に、ただヘルプをくれただけではなく「自分で考えて行動すること」を教えてくれたファミリーには、本当に感謝しています。

ホストファミリーや友達とは今だにFacebookでつながっており、アメリカに遊びに行ったり、日本に来てくれたりして交流があります。

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2005年、私が高校を卒業してアメリカに遊びに行った時
(左:ホストシスターズ/右:親友・MKと)

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2007年、大学3年生の夏、みんなが就活している間、私はアメリカ放浪
(お誕生日をサプライズでお祝いしてくれました!号泣して顔めちゃくちゃ)

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2008年、ホストファミリーのJapan訪問
(左:久々の3ショット/右:サンリオピューロランド)

Japan-visit 2012
2012年、私がオーストラリアに来る直前に日本に来てくれた!
(この写真の次の日、私はオーストラリアに旅立ちました。Girlsが大人に〜〜〜〜!!!!)

留学って形のないものですから、私のように極度なホームシックになる人、ならない人それぞれですし、ホストとの出会い、友達との出会いも、良い事も悪い事も人それぞれ違います。
(私は、ファミリーや友達は最高だったけど、イケメンアメリカン彼氏には恵まれず。。。。残念!)

それでも、留学中は誰しもが壁にぶつかり、悩み、苦しみます。
でもそんな時に、そこに1人でも応援してくれる人がいるだけで、自分だけでは決して持つことの出来ない、大きな大きなパワーをもらうことが出来るんですよね。

私は留学中、沢山の人に応援をしてもらって、「頑張ることの大切さ」「強くなること」を教えてもらいました。

だから、その恩返しとして、今度は皆さんにそういったことを伝えていきたいな、と思って、エージェントの仕事をしているのでした。

関川 祐利弥 / Yuriya Sekikawa

豪政府認定教育エージェントカウンセラー(QEAC登録番号 I094)。ゴールドコースト在住。北海道出身。中高時代、海外の学園ドラマの影響を受け「私もあんな生活がしてみたい!」と16歳でアメリカへ交換留学。ところが現実は理想とは異なり、公共交通機関一切なしのド田舎でのサバイバル生活。1年後、人として、また体型もひと回り成長して帰国。その後、日本の大学を卒業。人材コンサルティング会社勤務を経て、留学業界へ転職。…をしたつもりが、勤務支店が本社に吸収され職を失う。しかしピンチの時には、過去の留学で培ったサバイバル精神が役立つもの。「これは、もう1度海外へ行けということか!」とポジティブ思考で南国オーストラリアへ。現在は、ビーチから徒歩3分のゴールドコーストオフィスで留学カウンセリングと現地サポートを行う。このカウンセラーに質問する