自転車で転けました【救急車編】

2017年になってから初めてのブログです!

こんなにブログを更新しなかったことは久しくなかったのですが、実は少し大きな?怪我をしておりました。

1月に2週間程休暇を取得し休養、ようやく元通りの生活に戻りつつあります。

どうして休暇を取る程の怪我をしたかというと、、、、自転車で転けました。。。

私は地元のチームに入りトライアスロンをやっているのですが、1月1週目はHell Weekと呼ばれる、自転車で毎日少し遠くにトレーニングを行う週でした。

年明け1月2日からブリスベン〜ゴールドコースト間(Burleigh headsまで行き、Nerang駅までUターン)の約140kmからスタートし、Mt.Mee,Mt.Cotton/Redland Bay,ブリスベンシティから東西南北、今まで聞いたこともなかった場所へ校外学習のように自転車で行きました。

そしてたくさんのチームメイトから本当に大変だよ!と言われていた最終日の1月7日。

アップダウンが激しい山道へ行き、約130km程走る予定でした。

夜中に雨が降っていて少し道は濡れていて、上り坂も少し滑るそんな状態でした。
そして、その時はやってきました。

かなり急な坂道+少し濡れた山道+スピード=転倒

まだまだの私は、休憩後少し先に他の人とスタートし、気づいたら転倒していました。(もちろんブレーキはかけながら下りました)

どうして転倒したかも覚えておらず、気づいたら座っていて、後ろから来たチームメイト達が止まってくれ、自分で歩ける状態ではなかったので、チームメイトが救急車を呼んでくれました。

はっきりと記憶がないのですが、周りのチームメイトが「腕折れてるかもしれないね」等というので、「あぁ入院かなのかな・・」なんて思ったのだけは覚えています。

そして、人生初の救急車に乗ることに。

どこの病院が良いか?救急救命士の方がチームメイトに聞いたようで、私の家から一番近いRoyal Brisbane and Women's Hospital(公立病院)へ運ばれることになりました。

救急車に乗る前に、名前、生年月日を聞かれ、首、頭の痛みはあるか聞かれ、痛み止めの吸引。

救急車に乗っている最中に、体の痛みが10段階でどの程度か何度も聞かれ、血圧が安定をすると痛み止めを打ってもらいました。

そうこうしている間に病院に到着。他の救急救命士の方に、「自転車で転けたんでしょ?」と冗談ぽく言われ、笑われながら、自分で受付です。(私の場合は意識はあったので)

受付で聞かれたのは・・・
・名前(救急車で伝えた名前は間違っていました)
・生年月日
・住所
・加入している保険
・何かあった場合に連絡をする緊急連絡先(名前と電話番号)

そして治療してもらえるまで暫く待機。

その後お医者さんと話し、骨に異常がないか確認のためにレントゲンを撮り、その後治療となりました。(骨は折れていませんでした)

右肘から落ちたようで、右側部分の損傷が多く、右腕、右膝、右肩。そして、お尻の横側と左腕。(一回転していた?)

その中でも右腕と右膝が一番ひどく、右腕は20針縫うことに。右膝の傷は一ヶ月経ち、ようやくふさがりました。

今では怪我をした部分を自分で見ることが出来ますが、怪我をした日は腕を回して怪我の箇所を見ることが出来なかったので、看護師さんに写真を撮ってもらいました。(思ったよりも深く広い範囲で切れていてビックリ・・)

病院にはコーチ、お姉さんと慕っている方も来てくれ、心細いということもなく、過ごすことが出来ました。

自分が一人の時にどうしても分からなかった、そして初めて聞いた単語が「破傷風」。

tetanusというようで、看護師さんにスペルを教えてもらい、どうして必要か確認し、感染症予防のために注射を打ってもらうことに。

そして、全ての治療が終わり、看護師の方から月曜日に必ずGP(一般開業医)へ行くように言われ、その際持っていくレターを貰いました。

中学の英語テストにambulanceという単語が出題され、意味が分からなかったんだよねーなんてチームメイトに話しながら、入院をすることなく帰宅。

この時は、2週間お休みをするなんて思ってもいなかったのでした。

【つづく】

常盤 恵 / Megumi Tokiwa

日本では小学校の特別支援学級の担任でした。仕事にはやりがいを感じていましたが「色々考えないで、やってから後悔してみたら?」という同僚の一言に勇気をもらい、元々の夢であったオーストラリア留学を決意。シドニー到着後、自転車人口の多さに驚き、ロードバイクデビュー。その後、ワーキングホリデーで再渡航し、豪政府公認留学カウンセラー資格取得(QEAC登録番号:J249)を取得、2019年までの6年間オーストラリア留学センターブリスベンオフィスで働いていました。