疲れ女子パースへ行く!

何故私が今パースにいるのか?また何故パースだったのか?以外のこの質問を多くいただくので今回はきっかけについて書いてみようかな、と思います。ちょっと長くなってしまうかもしれません。

私は2004年迄普通に日本の企業でお仕事をしていました。
仕事はとても楽しく充実していましたが、今思えばworkaholicだったと思います。
勤務時間はもちろん、仕事量、仕事内容全てにおいてギュウギュウでした。
そんな私の楽しみは友達と会社帰りに時間を作って美味しいお酒を飲みに行くこと、甲子園に行くこと、海外旅行に行くことでした。そんな生活を続けていると健康優良児だった私の身体もどんどん似合いもしない病弱な身体になっていき、
働き盛りなのにマイコプラズマ肺炎になってしまり、胃痙攣になったりと(これはちょっと生活習慣がたたったかもですが...)結構病院のお世話になっていました。
ちょうどその頃、別のプロジェクトに入ること等が決定したという提示を受けました。
正直既に私の能力では抱えられない仕事量だったこと、
またプライベートでも少し考えたいことがあったこと、
体調がとにかく悪かったことで少し海外でゆっくりしようかなと思いつきました。
なんとなく今しかないような気がして家族に相談をしたところ、本当はいくべきではない状況だったのですが、私の身体を心配した家族が仕事を辞めるのであればと応援してくれました。

はじめに行こうと思ったのが地中海のマルタ島でした。
以前ギリシャに行った時の雰囲気がとっても良かったこと、また全く一からの言語よりも挨拶くらいは言える英語の方がいいかな、と思ったからです。ただ、私が会社を辞めて、マルタ島に行けるのは1月くらいだったため、その頃のマルタ島は東京の11月下旬の気候というのをサイトで見て場所を変更することにしました。家族にそれなら夏のオーストラリアにして、ギリギリワーホリがまだ取れるんだからワーホリビザで行ってみたらという嬉しい言葉に押されて、正直全く考えていなかったオーストラリア&ギリホリを検討することになりました。

Malta
By Jexweber.fotos マルタ島に行く機会が今後あるのかな?

さて、全く考えていなかったオーストラリア。イルカ好きな私はイルカと沢山出会える所に行きたいということでパースに決定しました。とあまり考えずにパースにワーキングホリデービザで行くことに決定した私。
次に考えたのはやはり言葉。
英会話に当時行っていましたが、ただ出席するのみで予習復習なんて出来ない状況だったの英語力はカタコト未満。
生活するならある程度の英語力は必要と考え、当時は3ヶ月語学学校に行くことができたので、語学学校選定を始めました。
その時連絡をしていたのがちょうど今の会社でした。私にとって現地情報が得られて、現地何かあった時に現地エージェントの方が良いなというのが一番の決め手で結局学校の手配をお願いすることにしました。

そんな中、身体はだいぶ疲れていたようで、無痛性甲状腺炎になってしまい、初診でバセドウ病の薬を処方されて飲んでしまったりと、行ける状態ではなくなってしまいました。結局通院し、8月に日本に戻り再度病院で検診を受けるということを条件に4月に渡航できることになりました。

4月に渡航する際も土曜に飛ぶはずの飛行機が木曜日の夜8時に飛ばない連絡が旅行会社から来て、当時取っていた空港会社(今はなきエアパラダイス)が確か機体調整の為ゴールデンウィークまで運行をしないということでした。やっぱり激安航空券には何かあるということを学びました...。
バリでの乗り継ぎが悪く、バリで1泊する予定でホテル予約、支払い済みだった私は経由地をそのままにするためにガルーダでチケットを取り直すことにしました。

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By Speedy_MSD 全くご縁がなかったエアパラダイス

ここでガルーダを選んでしまったのがまた英語の出来ない私にとって波乱の幕開けでした。
関空でチェックインをする際に、予約していたバリからパースの便がその時間に飛ばないのではないかと言われました。旅行会社に連絡をしようにも取れず、現地で聞くようにと言われ不安な気持ちのまま飛行に乗り込みました。デンパサールについて聞くことをとりあえず英語で書き出しで備えました。

デンパサールについて聞いてみると今の所その便が運行するかどうかは翌日にならないと分からないようなことを言われ、明日とりあえず空港に来るようにと言われました。不安なままとりあえず、ぼられないように気を張りながらタクシーに乗車し、ホテルに行きました。
翌日のことを考えるとお散歩する気にもなれず、ホテルでナシゴレンとビンタンビールのルームサービスを取りました。このナシゴレンがなかなか美味しかったです。

翌日空港に行くと結局フライトがキャンセルになり、空港で時間を潰すしかなくなってしまった私。
しかもフライトまでしばらくあった為に荷物を預けることもできず、日曜日だった為エージェントもお休みで自身でオーストラリア人ドライバーさんとホストに連絡をしなければいけなくなりました。
しかも深夜到着に変更になってしまったためホストマザーは銀行員だった為に受入てもらえなかったらどうしようとドキドキでとにかく書いた文を読み、待っていてくれるとのことでした。
オーストラリア人ドライバーさんにも無事に何とか変更を伝えることができ、後はパースに飛ぶのみ。
ここで役に立ったのが、やはり電子辞書と電子辞書例文検索。
そして言いたいことを書いて電話をしたことです。
その際だいたい先方に言われそうなことを予測して文章を予め作って電話をしたので比較的スムーズに話をすることができました。
ホストもきちんと待っていてくれましたし、ドライバーさんもちゃんと迎えに来てくれていました。

Ruang Tunggu
by basibanget  ここに何時間スーツケースも預けられないまま過ごしたな

結局到着しても3時間寝れたか寝れないかで学校初日を迎えた私。
緊張と疲れでよくわからないまま、ホストファミリーが一日目は一緒に学校に連れて行ってくれ、
何とかパース生活をはじめることができました。

Transperth
この番号だけのバス停にも不安でしたが今ではすっかり慣れました

学生生活はとっても楽しく、時期的、レベルで日本人が多かったですが、それでも色々な所から来た人や、色々な職種を経験した人と出会えたことは今でも宝です。
パースの青空と緑は私を十分癒してくれました。
また、勉強嫌いの私にとって新鮮だったのは、大人になってからの勉強&学校は以外に楽しくかったです。
お友達も仕事のように利害関係が全くないのでいろんな人とお友達になることができたのも良かったです。
元々私は疲れを癒しに来ていたので、放課後はパブにてビールを飲んで、昼から飲めるなんてなんて優雅なのかしら、学生最高!なんてのんきに過ごすことも出来てすっかり充電した私。

Untitled
先生とも飲みました♡


出来れば外国の人と行くバスツアーにも参加したいと思っていたので、学校が終了後に参加。
テントもなく、スワッグ&寝袋で寝るツアーだった為、アジア人は私一人と少々不安な旅でしたが、アデレードから来た人とお友達になったりと色々な経験をすることができました。

日々日本で生活していると戻れなくなるのではないか等々心配になったこともありましたが、
一度日本を離れることで身体も心も元気になって、その後も派遣で働いたりと日本でも意外と楽しく過ごすことができました。
日本にいた時は色々不安になったり、現状を維持することに必死だったりしましたが、
こちらに来て、まあ、何とかなるんじゃないかな?とにかく派遣で働いて見つけて行こうかな。なんて思えるようになりました。ギリホリだったので30歳を過ぎてのワーキングホリデーだったからこそ得るものが多かったと思います。(私の場合はホリデーホリデーでしたが...)

頑張っている人、だいぶ疲れている人。3ヶ月くらい建前上は英語を勉強にとしておいて、自分にご褒美&充電して自分の為の時間を過ごすのも1つかな。なんて思います。

休日の過ごし方
芝生の上でのんびり読書も気持ちが良いです