自分は元々英語が大っ嫌いでした。
今はパースに住んで、留学の仕事をして、お客様に「英語がんばろう!」なんて言っていますが、個人的に英語が好きか、と聞かれると、今でもあまり好きではありません、が本音です。
中学1年の最初の頃だったと思うのですが、三人称単数を習ったとき。
主語が「he」とか「she」だと、動詞に「s」が付くというやつです。
これで英語がわからなくなりました。
動詞にエスがつくって何さ。
そもそも「サンニンショウタンスウ」って何???
そして、定期テストで赤点ぎりぎり。
「よし英語は二度と勉強しない!!」
心に誓いました。
その後の中学生生活は、定期テストでは赤点ぎりぎり。選択問題のまぐれあたりで、よくて40点くらい。
話は変わり、中学時代の社会の先生が、やたらと雑煮は地域によって味の違いがあることを力説する人。友達と「あの先生おもしれ~!雑煮の歌つくろうぜ!」と、雑煮の歌をつくる。
中学時代とかはギターとかに興味を持つお年頃。
雑煮の歌をつくったことがきっかけで、「バンドやろうぜ!」となり、紆余曲折を経て自分はボーカル担当。
一応まじめにボーカルの練習をしようと、ボーカルトレーニングの本を買いました。
トレーニング本に「この人の歌声は参考になる」というページがあり、そこに某アメリカのロックシンガーの名前がありました。当時、洋楽には全く興味はなかったけど、かっこつけたがるお年頃。「洋楽知っている俺ってかっこよくね? 」と、そのシンガーのCDを買いました。
もちろん、歌詞の意味なんてさっぱりわかりませんが、曲を聞いていると意味を知りたくなってくる。でも、英語赤点ぎりぎりの自分が、英語の歌詞を見てもわかるわけがない。
「洋楽の歌詞わかる俺ってかっこよくね?」と歌詞の意味をがんばって読み取ろうとする。そして、英語の勉強をちょっとまじめにやってみる。
当時中学3年生の後半で受験勉強も本格化してきた時期。ようやく中学1年生レベルの英語を理解できるようになってくる。
定期テストでも、40点を脱出し、ようやく60点くらいの得点ができるようになり、高校では英語の先生に恵まれ、さらにレベルアップをすることができました。
中学の時、社会の先生が雑煮の話をしなければ、雑煮の歌をつくるなんてアホなことをしなければ、ボーカル担当にならなければ、おそらく英語は赤点のままだったし、ましてや海外に出るなんて考えもしなかったと思います。
中学の時の社会の先生には今でも感謝です。