アデレードはどうやって作られた街?

こんにちは。アデレード支店の小野寺です。

南オーストラリアの首都 アデレード。
本日はそのアデレードの街の歴史を少しご紹介したいと思います。

この銅像をご存知でしょうか。
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この銅像は ウイリアム・ライト大佐 です。
ウイリアム・ライト大佐は、1836年にイギリス女王ビクトリアの命を受けてアデレードの街並みを美しい碁盤の目のように作る指揮をした方です。
ウイリアム・ライト大佐が作ったアデレードの素敵な街並み(碁盤の目状の街並み)は昔の形のまま今も存在しています。


シティの中心部から徒歩10分程度にあるノースアデレードのモンテフィオールの丘に大佐の記念碑である「ライト展望台」があります。

このウイリアム・ライト大佐の銅像はアデレードのシティを指差しており、
銅像の台座の裏側には

    「私の首都地選択の可否は、後世の人々の判断に委ねられる」 
 
という名文句が刻まれています。
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アデレードは住んでいる人みんなで作り上げている街なのです。


またウイリアム・ライト大佐が街づくりをしたアデレードの街の成り立ちをご存知でしょうか。
他の都市は流刑植民地として作られた街が多いですが、アデレードは自由移民によって作られた街なのです。
ですので、自由移民たちが自分たちが思う理想郷としてアデレードを多人種で文化的な美しい街に作り上げました。
たくさんのお祭りや、多国籍の食文化、シティから近くにあるワイナリーの数々・・・
ワイン大国として有名なオーストラリアですが、初めてワインの輸出はアデレードからなのです。(1845年)

オーストラリアの中では5番目の都市・アデレード。

大きな都市ではないので、何をするにもとってもハンディで快適な場所です!

海に行きたい、山に行きたい、野生の動物に触れ合いたい、買い物をしたい、勉強をしたい、全てがすぐそこにあります。
下記の動画は南オーストラリア観光局が作ったビデオです!
是非アデレードの雰囲気を見てみてください♪


南オーストラリアの観光サイトはこちらからご覧ください。

アデレードは勉強をするのにも、生活をするのにもとっても快適な場所です!
オーストラリアに来られる方は是非一度来てみてください♪

小野寺 ひより / Hiyori Onodera

「大学卒業後、約6年間ガッツリ仕事人間をした後、オーストラリアへ。渡豪前には、日本でのキャリアを捨ててまで海外に出る意味はあるのか?なぜ今このタイミングなのか?本当にやるべきこと?など自問自答を繰り返し、結果、私は今ここにいます。大学から社会人までラクロスをしており、ラクロッサーを本気で応援しています!」

※アデレード支店アシスタントとして2015年3月より6ヶ月間勤務。ブログはその当時の内容となっています。現在は、ラクロス界の人のオーストラリア留学を斡旋するエージェントの起業準備中!