ここアデレードは、オーストラリアで1番のワイン産地であることから、ワイン造りを経験したくてワーキングホリデーでアデレードに来る人も多くいます。自分もワイン好が昂じて、ワイナリーに足を運ぶこともありますし、ワイン好きの友人も増えました。また、今までもワイナリーで働く経験をしたい、と言うワーキングホリデーメーカーに何人も会ってきました。
そんな中、この数年ではとっても珍しい 「自分のワインを生産して販売するためにワーキングホリデーで来た」人がいます。
ワイナリーでワイン造りを経験したい、じゃなくて、自分のワインをオーストラリアで造るため、なんです。
意味合いが全然違うんですが、そんな ” 振り切った面白い日本人 ” もいるんだよ、と言うことで僭越ながら私、齋藤 新(あらた)のブログで ご紹介したいと思います。
Plus Personal Wines の ナチュラルワインメーカー/オーナー 「スガ タカヒロ(Takahiro Suga)」さんです。
リンクの Facebookから彼のご経歴を確認頂けますが、まぁー、いろんな有名ワインメーカーの元、研修を積まれています。ワインに詳しくなくても一度は目にしたワインメーカーもあるんじゃないでしょうか。そんな彼のロングインタビューです。
いつ頃からワインに興味が?
学生時代から外国に興味があったこともあり日本の大学での国際関係学部に入学しました。当時好きだった外国人サッカー選手と、いつか話ができないかという単純な理由から大学ではスペイン語を専攻し、夏休みを利用してマドリードへ、元サッカー選手の家族にホームステイをしました。わずか1ヶ月程の留学でしたが思えばその経験を皮切りに旅にのめりこんでいた気がします。
帰国してからも、大学での時間以外はひたすらアルバイトで旅費をためては、長期休みがあるごとにバックパッカーとして世界各地へ旅行に出ていました。ある日から、旅に関する書物を読み漁っているうちに南米大陸を縦断してみたいという単純な動機と同時に「きっとこの気持ちを持ったまま社会人になったら途中で ”放浪の旅に出るため退職” のようなことを言い出すに違いない。そんなことで就職氷河期にせっかく得た職を辞めるくらいなら大学生のうちに行きたいところは行ってしまおう」と思い、一年間の休学をして放浪することにしました(後になってその心配は全く必要ないものだったとわかるのですが・・)
初めは南米だけのつもりでしたが、途中から次から次と行きたいところが増えて、気づいたら世界一周みたいなことをしていました。そのことはジャーナリズムというものに興味を持つ大きなキッカケとなりました。
その後「Photo Journalist(報道カメラマン)」を目指し、大学卒業後、フランスにワーキングホリデーで渡航します。SNSで知り合ったファッションカメラマンの方が パリとニューヨークに居を構えていて、運良く、その方がフランスにいない間は、部屋を使っていいよ、と言うオファーを頂き、また現地の日系雑誌のカメラマンとしてもアシスタントとして働けるようになりました。そのフランスの雑誌で新しくグルメ関連雑誌を刊行するという流れもあり、カメラマンとしてレストランやワイナリーに帯同するようになり、試食や試飲から「ワインって美味しいなー」と思うようになります。
日本では仕事は何を?
フランスから帰国後、報道カメラマンを目指すか、ワイン関連を目指すか、で悩んだのですが、ワイン酒販「ヴィノスやまざき」さんにて 採用していただいたのを キッカケにドップリとワイン業界に嵌っていきます。仕事をしながら、日本のワイン関連資格(ワインエキスパートなど)試験やソムリエ試験に合格しました。もうすぐ日本でのワイン業界も3年になる頃、仕事をしながら日本の「藤丸ワイナリー」さんにインターンに行ったんです。このインターンが 僕を生産者の道へ歩み出すキッカケになります。つまり「ワインを造る人(生産者)」になる決心をこの段階で思うようになります。
初めてのワイン造りは?
ヴィノスやまざきさん に感謝しつつ、退職してニュージーランドへいきました。2017年にニュージーランド大手の Villa Maria のスタッフとして働く機会を得ることができました。そこでは今まで自分が世界中の旅に使っていた英語が社会ではほとんど通用しない旅行者英語であったことを痛烈に身に染みてわかります。Villa Maria は、非常に大規模なワイナリーで、毎年50人ほどが仕込みシーズンの醸造スタッフとして選出されます。世界中から20ヶ国もの人が集まっていましたので、訛りも文化も様々な人たちと共通言語は英語で 醸造所での実地研修は、ワイン醸造の技術と同等かそれ以上に言語・文化を学べる機会でした。
例えば「36度に上昇した11番タンクに入っているワイン6000リットルのうち3分の1を8番タンクにいれ、3分の2を冷却ポンプに15分間流して25度まで下げた後、上澄みだけを戻したら4分間の窒素注入をして適度な還元状態をつくり、酒石酸を加えてpHを0.1下げて..」というような指令が緊急で飛んできます。ここで自分がミスをしたら数千リットル規模のワインがダメになりますから、それを「英語がわからなかった」では許されませんので必死で英語もワインも勉強しました。
そんな状況の中、休みの日にはワインと語学学習も兼ねて各地域のワイナリーをまわっていました。ちょうどこの頃から、南北両半球でのワイン生産を一つの目標にしてはいたものの、ニュージーランドに渡って間もない私は右も左もわかりませんでしたので、自分なりに近い将来について、大まかな目安を設けました。
・3ヶ月後「NZ国内のピノノワール生産者を全て訪問し、最良な研修先を見つけること」
・1年後「NZのピノノワール、自分が造りたいワインの方向性、生産理由について熟知すること」
・2年後「ドイツのBernhard Huberにて研修をする」
・3年後「フランス・ブルゴーニュ地方Gevrey-Chambertin村の生産者(数名)のもとで研修をする」
・5年後「労働権を得て、同地方の生産者・農家さんとの関係を築き上げた上でピノを軸としたワインを生産し、自身のフランスワインを3年以内に販売の軌道に乗せること」
・10年後「5年目を迎える北半球での資金を元手に、季節が反対になるオーストラリアにて方向性の異なるワインを同時進行で生産すること」
を目標にしてきました。
上記設定したものの、過程でいくつも軌道修正があり、特にMartinborough Vineyard(マーティンボロ)にいた頃にオーストラリアのナチュラルワインを飲むうちに順序が逆転し、いまのオーストラリアでの生産が先に来る結果となりました。
ナチュラルワインを生産?
ニュージーランドでは、ピノノワール品種を中心に伝統的な赤ワインの醸造を学びつつ、世界的に人気なってきたナチュラルワインをニュージーランドで 試す機会に恵まれました。このナチュラルワイン、実は日本にいる頃は、それほど馴染みがなく、また、あんまり美味しいと思ったワインではなかったんです。ナチュラルワインの定義は正確には決まってないのですが、Minimal intervention (ミニマルインターベンション) という必要以上に人の手を加え無いと言う事と、、No Add Sulphur と言う亜硫酸塩(SO2)を含む余計な添加物を一切加えない、または最小限に抑える、自然発酵(野生酵母発酵)な事、必要以上に濾過、清澄していない事、などが大事な要素です。
ナチュラルワインは、世界の中でも オーストラリアの生産者が人気で、且つ、カリスマ的な生産者も生まれています。日本では価格が高く レストランで飲むなら1本1万円は超えてしまいます。小売でも6000〜8000円くらい。ただ、オーストラリアやニュージーランドで小売で一本が30〜50ドル前後なんですね。地元は安いです。 味わいが安定しない、個体差があるのがナチュラルワインですが、せっかくなら(日本なら高いし。笑)ココなら安いし、たくさん経験しよう、と思ったのが、逆にその魅力にどっぷり浸かっていくことになります。
オーストラリアでワイン造りをするために最初にしたことは?
オーストラリアにいくにしてもワイナリーで仕事ができるかどうかわかりませんでした。特にナチュラルワインの生産者となるとスモールワイナリーが多く、ワインメーカーが自分 1人だけとか、家族だけで経営している、と言うことは珍しくないんです。しかも、自分は オーストラリアでは働くだけでなく「自分のワインを生産して販売する」と思ってましたので、ワイナリーやブドウ農家から ブドウの購入から、醸造施設のレンタルまで含め、インターンさせてもらえるところを探してました。オーストラリアには約3000ほどのワイナリーがあるので、その中で1件くらいは返事がもらえたら、あとは「行動力がカギ」になると考えてました。
まずはオーストラリアのワイン最大産地の 南オーストラリア州で、アデレードヒルズ、バロッサバレー、マクラーレンベールのワイナリーへ100件ほど コンタクトを取りました。
ナチュラルワインの生産者としては、自分の造りたいワインのスタイルから、Tom Shobbrook(トムショブルック)かGentle Folk(ジェントルフォーク)、(どちらもオーストラリアのナチュラルワイン生産者としてはカリスマ的な人気を誇ります)をインターン先の第1候補として採用してくれたらな、、、? と思ってたのですが、まさに 本命の ジェントルフォーク!から返事があったので、ニュージーランド滞在中に、2週間ほどオーストラリアを訪れます。
Gentle Folk(ジェントルフォーク)のワインメーカー、ギャレス氏に会って、インターン + 自分のワインを造りたいことを伝えにいきました。そのときに来年度の収穫で 1トンのSauvignon Blanc(ソービィニオンブラン)のブドウを分けてもらう代わりに、無給インターンで働くと言う約束を取り付けます。これで働きながら、施設も無料で使いつつ、Sauvignon Blanc で 自分の醸造ワインを造れる 1年目の下準備ができました。
ニュージーランドから日本へ帰国したのが、2018年5月ごろになります。南半球の5月は収穫も終わっていて、あとは醸造を段階的に確認するだけの作業、つまり ”暇” になるんですね。次年度の2月から収穫の開始時期にあわせてジェントルフォークでの研修も決まったので、それまでの間、実は日本の函館と ドイツ にワーキングホリデーにいきます。
函館では何を?
5月に日本に帰国〜7月ドイツいく前までの超短期なのですが、・・フランスのモンティーユが日本の函館にピノノワールを育てる畑を購入すると聞いていて、ワイン生産者の繋がりで 「フランス語が話せてブドウ栽培の知識のある人の短期募集」があったんです。それに採用されました。笑。フランスのワイン生産者が日本の土地に興味を持つ時代になっています。ドイツでもワイン造りを??
実は、オーストラリアのワイナリーへの問合せと同時進行で、欧州(スペイン、オーストリア、ドイツなど)内で ワイナリーの仕事探ししてたんですね。その結果、ドイツの Bernhard Huber (ベルンハルトフーバー) で研修することが決まりました。ピノ・ノワールを作らせたらドイツでNo.1 と言われるワイナリーで仕込みの仕事ができたのもとても貴重な研修でした。
ただ、ドイツはワーホリで行ったんですが、ベルンハルトフーバー での仕込みと醸造の仕事が終わると、他にやりたいことがなかったことと、次の2019年2月からジェントルフォークでの仕事と自分のワイン造りが決まっていたので、ドイツは半年で帰国します。ちなみにドイツ語は話せません。笑。
次回、2019年から始まる「オーストラリアでのワイン造り編」に続きます。