先日、ブリスベンから来るまで3時間ほど走った内陸のCherbourg(シェバーグ)という街に行ってきました。ここは1900年から1968年まで、オーストラリア先住民たちが強制的に連れてこられて隔離させられた居留地があった場所です。フランス語読みでは日本人の多くが知っているシェルブールというしゃれた名前のその場所では、人間として扱われなかったアボリジニの人々の悲惨な歴史がありました。
何よりも、私が悲劇だと思ったことは、それぞれ固有の文化や言語を持っていた100以上の先住民たちの部落が一つにまとめられ、その狩猟型のライフスタイルを禁止され、また、言語も英語を強制的に話さなければならなくなり、彼らの文化というものが消え去ったことです。土地や自然とともに生きるというアボリジニたちの生活がすべて否定された状況での、彼らの絶望感というものはいかほどのものだったのでしょうか。 しかし、少し想像力を働かせてみれば、私たち日本においても多くの東北の人々が強制的な避難により、文化の継承が困難になっています。その不安や絶望について、アボリジニのコミュニティを歩きながら考えざるを得ませんでした。幸いなことに、今回お会いしたコミュニティの方々は博物館の人、アーティスト、小学校の先生など、皆さんとても元気でした。過去の不幸を嘆くのではなく、未来のコミュニティの幸せのために学校を整備し、出席率を上げるためのさまざまなインセンティブプログラムを作って、子どもたちをコミュニティ全体で育てていました。 学ぶことがとても多かった今回の訪問をきっかけに、日本の大学生に向けて、語学と異文化理解のプログラムを作ろうということになりました。若者たちが、この場所で様々なことを感じて、それを日本に持ち帰ってもらう時を楽しみにしています。