私がワーホリで渡豪する決意に至るまで

こんにちは。

渋谷支店で働いてる杉原由里です。

年末に1年のワーホリを終え、真夏のパースから真冬の日本に帰国しました。

長期滞在は2回目となったパース。

インド洋とスワンリバーと共にゆったり時間が流れるパースが大好きです♡

 

これからワーホリでオーストラリアに行こうと考えている皆さん、そして行ってみたいけどまだ踏み出せない方のきっかけとなるような記事をお届けしたいと思います♪

 

1回目の今日は、私がワーホリで渡豪する決意に至るまでをお話したいと思います。

 

『3姉妹末っ子の私は自分がなかった…?我が家は貧乏?』


3姉妹の末っ子として産まれた私は、幼い頃から姉達のうしろをついていく”The末っ子”。

姉が楽しそうに人形遊びをしていれば、自分はたとえ人形を持っていなくてもなんだか一緒になって楽しくなってしまうし、
姉がバナナやすいかを嫌いといえば、本当は美味しいと思って食べていても「私もあまり好きじゃない」と言ってみたり。

よくいえば同調/協調性がある子。悪くいえば単純で自分があまりない子でした。

 

両親は優しいけれど、なんでもかんでも買ってくれるタイプではありませんでした。
流行りのおもちゃはほとんど買ってもらえず、まわりのみんながポケモンゲームやたまごっちを持っていても、私は見せてもらうだけ。
どうしたら”まめっち”に成長するかなんて知ることもなく私は中学生になりました。
※まめっちは当時たまごっちのなかで人気だったキャラクターです。

「もしかしたらうちはものすごく貧乏なのかもしれない」

そんな風に心配したこともありました。

 

物は買ってもらえないけど、幼い頃から国内外問わず旅行に連れていってもらっていました。そのなかでも海外旅行はツアーではなく個人手配。父が英語を話し、リードする。日本では見られない綺麗な景色を堪能し、家族と楽しい時間を過ごすなかで、
「私も将来英語を話せるようになって、もっと旅をしたい」と思うようになっていました。

 

『海外へ行ってみたい!高校2年生での挑戦と驚き』


そんな英語・海外への興味から、私は高校2年生の時に母校の留学制度のひとつであった「一年間のオーストラリア・パース交換留学」に応募し、合格。

「オーストラリアといえばシドニーじゃないの?パースって?どこそれ〜笑」自分でも周りの友達にもそんな事を言われながら、2004年1月パースに向かいました。

 

パースではホームステイをしながら1ヶ月間語学学校に通い、2月から新年度で高校2年生にあたる”11年生”として現地の高校に入学。学校がある間は寮生活を送っていました。

 

自然豊かなパース。ワライカワセミや鳥のさえずりで目覚める寮の朝。朝6時半から運動に励む学生たち。午前の休み時間に先生も学生もお菓子を食べるモーニングティータイム。15時25分の終業ベルがなった途端、家族が待つ家に帰る学生と先生。平日は勉強・仕事をし、休日はとことん遊ぶメリハリっぷり。今までの自分の概念が覆される事ばかりでした。

 

『悔しい!意見が言えない』


なかでも衝撃だったのは常に誰かが手を挙げ、意見が飛び交う授業。

 

日本の授業:受けるもの。先生の話や説明を聞き、ノートを取る

オーストラリアの授業:先生の話を聞き、それに対し意見や考えを発表する場

 

同調ばかりが得意な私はディスカッションに苦労しました。友達との普段の会話でも、私は「あなたは何を考えているの?本当にそう思う?そう思うのはなぜ? 正直に教えてよ!」と言わせてしまうこともありました。

英会話教室に通い、英語検定二級を取得し、留学に備えていたが苦労する英語力。それにプラスして、「意見や考えをしっかり持っていない」という人間力のなさを痛感したのです。

しかし悔しい思いを乗り越えて、友達をたくさん作り、授業や寮、パースの全てに慣れ、「ここからだ!英語力も人間力ももっと磨いてやる!」と思ったのもつかの間、帰国しなければいけない時がきていました。

 

『日本で過ごす充実した日々…でも本当にしたいことは』


高校での交換留学を終え帰国した後私を待っていたのは受験勉強、大学生活、就職活動…

留学を終えてから過ぎていく日本での生活。

そして社会人になり転職も経験し、やりがいを感じる仕事にも出逢うことができました。

忙しくも充実した日々を送れたのは「パースでチャレンジし続けた自分」が支えてくれていたから。

 

でもふとした時にパースでやり残したことを思い出し、「またあの場所で生活したい。チャレンジしたい」と願っている自分がいました。

 

このまま日本で大好きな家族や周りの人達に囲まれながらキャリアを積んでいくのか、それとも思い切って職場を辞めて日本を飛び出すのか…

 

『悩んで気づけた大事なこと』

悩んでいくなかで、

 

一度の人生、やりたいことをやらないでいるのはずっと後悔を背負ったまま歩んで行くことだ

 

と気づきました。時には自分の心の声に気づかないフリをしたり、ごまかしたりすることも。でもそうするとその後悔はどんどん大きくなり、更に私を苦しめていたのです。

 

未来は不明確で当たり前、そこに繋がっていく今という瞬間を大事にしなければ、なんとなく日々を過ごし、なんとなく良かったねという人生で終わってしまう。それより、失敗してもいいからチャレンジして、一生懸命生きたいと思いました。

 

私はワーホリビザと高校時に抱いた「 英語力も人間力ももっと磨いてやる!」という気持ちを携え、パースに旅立ちました。

 

自分の心の声にちゃんと耳を傾け、素直に行動していくと人生はより豊かになると思います。

あなたの心の声はなんと言っていますか?

 

杉原 由里 / Yuri Sugihara

豪政府認定教育エージェントカウンセラー(QEAC登録番号 S021)。高校時代のパース留学は毎日が新しい発見の連続でした。文化、人種もさまざまな環境に身を置くことで、相手を理解し、自分の意見や考えをしっかり伝えるには英語力にプラスして人間力も必要だということを実感。
また、その時に抱いた「世界をもっと見てみたい!自分の足で歩き、いろんな人や物に出会いたい!」という気持ちを大切にし、12年後。専門学校のスクールカウンセラーの仕事を辞め、友人と2人で世界横断の旅へ!

旅から帰国した私が再び向かった先は、自分の原点であるパース。インド洋に面する美しい町、パースで生活を送る中で、楽しいこと、悔しいこと、さまざまなことがありました。でもひとつずつ壁を乗り越えていくことで、自信がつき、どんなことも楽しめる自分に。
「人生を思いっきり楽しむ」ということを教えてくれたパースは私にとってかけがえのない場所になりました。

「やってみたい」という気持ちを大切にし、行動にうつすこと。そして一生懸命になることで、見えてくる景色があります。人生の絶景、見てみませんか?

パースで生活してきたからこそ、日本で生活していて感じることや思うこと、留学に役立つ情報を発信していきたいと思います。このカウンセラーに質問する