東京にちょうど出張に来ていたので、金環日食を見る事ができました。太陽の光をさえぎる月は球体なんだという事が、テレビの画像からは感じられない実際に見たときの印象として、残りました。このタイミングで日本にいられたことはとてもラッキーでした。
私はこのような天文現象ネタがあると、いつも天文学の無かった昔の人々に思いを馳せてしまいます。いきなり太陽が欠けていったときに、当時の人は何を思ったのか。太陽と地球(大地)の間に何かがあるかもしれないと感じたときの恐怖感はどんなものだったのかなど、想像するとわくわくします。そして、その人々の中で冷静に考え、空を毎日観測し、謎を解明するきっかけをつかんだ人が現れ、記録に残し、次の世代がまた考え続けたり観測を続けたりして、当時の宇宙の謎は現代では小学生でも習う知識となっていったのです。
私は、最初になぜなんだろうと考えた人にとてもあこがれます。なぜ、日食が起こるのか、いつ、またそれがやってくるかも解らないまま、考え、空を見上げていた人にあこがれます。しかし、現代の社会は何から何まで解ってしまっているから、次の日食まで(その日程も場所さえも解ってしまっている)誰も空を見上げません。日食観測用眼鏡はゴミ箱に捨てられ、それを使って、太陽をまた見てみようという人はほとんどいないでしょう。すべての自然現象が経済効果で語られ、情報やイベントとして消費されていきます。悲しい現実です。
それでも、全国の子どもの中で何人かでも、マスコミが煽る表面的な話ではなく、深い経験をして、ずっと空を見上げていってほしいと思います。